アートな日

フィオナ・タンの「まなざしの詩学」という個展に行って来た。映像作品、写真、インスタレーションが展示され、1時間程度の2本のドキュメンタリーの上映があった。

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展示室を入って直ぐのリフトという映像作品。風船をたくさんつけて、空に上がっていく作品。この浮かび上がる感じと、見える景色が昔よく見た空を飛ぶ夢の感じに似てる。そういえばあの夢ずっと見てないなあ。。。あの夢の中では、飛ぶって意識するとふわ〜って身体が浮き上がった。風船くっつけて浮かぶと丁度あんな感じになるんだなあ。フィオナさんも同んなじような夢見ていたのかしら…。

まるで写真のようなフレームを覗き込むと動いてるっていう作品もあった。モノクロの写真のようなんだけど、ひとびとの生活の一遍をじ〜っと流れるように見つめているような作品。そこにはあまり感情めいたものは介在せず、透明人間になって覗き見してるような感覚。こういう形態のアートに触れたのは初めて。なんか素敵だった。

2本のドキュメンタリーも面白かったけど、「影の王国」の方の以下のくだりが印象に残る。

どんなイメージも世界を断片的にとらえたものに過ぎず、そこに何を見出し、また何を見落とすかは、結局見る者自身に拠るもの。『イメージはそれを見る眼なくしては存在し得ない。ゆえに、鑑賞することは、創造的な行為なのだ。』とタンは言う。 『フィオナ・タン まなざしの詩学』より

イメージって共有するもんだと思ってた。で、共有できることや共有できるひとって僅かしかいないって思ってたんだけど。。。それって、共有できないといけないみたいなことが前提にあって、ひょっとして自分の世界をものすご〜く狭めてるかもって感じた。もっと自由でいいのかも。。。