旅に出ると、

作家の旅本、恩田陸の「隅の風景」を見る。比較的近場、国内、海外で感じたことが綴られた薄い新潮文庫
本の中で樺山紘一『地中海ー人と町の肖像』の記述に触れ、次のように言っている。

地中海世界の拡大と成熟に伴って、「旅」という行為が生まれ、移動して異文化を目にすることで多くの歴史家や哲学者が生まれるようになったという。都市が発達し、美しい建造物が造られるようになったのも、「よそから来る人や通過する旅人」に「見られる」という意識があらわれたことによるらしいのだ。なるほど。移動して複数のものを目にする。比較、対照が思索の始まりというわけだ。

何時もの決まったやり方を繰り返す日常生活から旅に出ると、常に、頭はフル回転。ぼーっとしてる旅でも、きっと頭の中は情報処理や意思決定などに追われてる。
旅に出て、昔のことを思い出したり、あーあの時のことはこういうことだったのかもしれないと思い至ったりすることが多いけれど、、、旅をして、五感で新しい情報を取り入れている傍らで、過去のことに思いを馳せている。
自分の既に知っていることは過去のことで、それと比較、対照することで、新しい情報を頭のどこに置くか、といったことを整理してるのかな。。。
その過程で、過去のことについても整理が出来、あーこういうことだったのかもしれない、と理解が進むのかもしれない。。。隙間の空いていたところが、整理することでピースが動き、頭がつながっていく。

本では、この項目の終わりで、旅の目的を「何か」の予感を探すためーとして締めくくっている。

予感。わたしは、局所的にびっくりするほど鈍いところもあるけれど、それ以外は、勘がいい方。鈍い方は置いといて、、、勘の方は、何処かから降ってくるものではなく、勘がいいというのは、観察して情報量が多いだけ、それだけ目を向けているだけのことって思ってる。
予感というと何かインスピレーションのようなものが舞い降りるように感じるけれど、予感を探す、っていうのは、頭に詰め込まれた情報が旅をすることで整理され、方向性が見えてくるってことなのかなあ、と自分では理解した。
どんな予感を感じることにするかは、過去の自分といまの自分、、、その自分たちで、これからを決めている。

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