仏頭にまつわる話

立花隆の文春新書の新刊を見ていたら、興福寺の仏頭の話が出て来た。この仏頭は、先日の奈良出張の際、灯花会の時期の開館時間延長のおかげで、夜、興福寺を訪れ、お顔を拝顔した。とても落ち着いた感じの大きな大きな仏頭だった。
本を読んでいると、この仏頭は薬師如来の頭部であるらしいんだけど、その由来が書かれていた。この薬師如来は、ある冤罪事件を背景として、蘇我倉山田石川麻呂という人の追悼のために作られたものらしい。。。

石川麻呂は、蘇我氏の傍系、蘇我馬子が祖父、蘇我蝦夷が伯父、蘇我入鹿が従兄弟にあたる。親戚関係であったが、かねてから対立関係にあり、大化の改新では、中大兄皇子(後の天智天皇)側に参加、功績を認められ、新政権では右大臣となり政権の中枢に入った。
ところがその後、異母弟に落とし入れられることになる。この異母弟が、石川麻呂が中大兄皇子に謀反を企てていると中大兄皇子にご注進申し上げたらしい。

うわ〜いやらしい。。。

これは、全くの冤罪であったらしい。。。それにもかかわらず、石川麻呂は、何の抵抗もせず、『私は世々の末まで決してわが君を恨みません』と誓いを立て、氏寺の前で首を括って自決したらしい。。。そこまでしても中大兄皇子は信じられず、その後更に首をはねたり、関係する人を殺したり、流したりしたらしい。。。

いやはや…。

没収した財産を調べている途中で、自分の書やら、送ったものが、宝物の最上位に挙げられていることを知り、そのときになって、相当遅いけど、、、やっと石川麻呂の潔白さを知ることになったらしい。。。

その後悔の念は半端なかったらしい。。。

そりゃあ、そうだ。

石川麻呂の次女と中大兄皇子の間に生まれたウノノサララ皇女が後の持統天皇。ちなみに、石川麻呂の次女は、冤罪事件の後、悲しみにくれ、死んでしまったらしい。。。仏頭は、ウノノサララ皇女の旦那さん、天武天皇持統天皇の先代)の時代に氏寺であった山田寺が復興され、その際に石川麻呂の追悼として作られたらしい。。。

この話の中で、一番悲惨ってわたしが感じるのは、中大兄皇子だなあ。嘘をつくひとを信用して、潔白なひとを信用できないなんて、、、悲劇だよなあ。。。中大兄皇子にも、そうなってしまう背景や環境とか、言い分とかあるんだろうけど、、、結局、ものすごい後悔って形で自分に返ってくるからなあ。。。

わたしは、基本的に、ひとが言ってきたことはふ〜ん、って聞いてる。なんか意図がある場合もあるだろうし、情報が一部である場合もあるだろうし、自分とは違う、そのひとの見解である場合もあるし、、、だから、『ふ〜ん』。信じてるとか、信じてないとかじゃない。
自分の目で見て、自分の耳で聞いたことじゃないと、自分にとっての本当のとこはわかんないじゃない。本当っていうのも、ひとによって違うし。。。

大体、それでなにか選択なり、行動なりして、結局、責任とれるのは自分だけだもんね。他のひとが後悔するわけじゃない、自分の身に帰ってくるわけだし。。。自分で見て聞いて判断した結果なら仕方ないって思えるけど、、、後悔なんて、したくないもんね、やだもん。。。

それにしても、仏頭の穏やかなお顔。。。石川麻呂さんは、麻呂さんで、信じることを貫けたことは、かなり高次のレベルで、幸せの領域にいらっしゃるんでしょうね。。。そんな領域、なかなか行けないだろうけどね…。

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今日のピラティスは、11時〜。帰宅途中にて。