ぐだぐだ・・・
潔癖さというのは、ひとによって発揮される場所も、程度も違う。。。
多分、潔癖じゃない方が他人と折り合いをつけるのは簡単な気がする。その場合、自分の潔癖さと他人の潔癖さの折り合いをつける必要がないから、当然といえば当然。
でも、潔癖さの反対ってなんなんだろう。。。
汚ないのが許せない、不正が許せない、きちんとなっていないことが許せない、などといったことが潔癖さだとすると、「いろんなことが許せること」が反対ってことになるんだろうか。。。それって寛大さのこと⁈
でも、なんか違う気がする。。。潔癖さの方の定義の仕方が不十分だったかな。
そこで、潔癖さは「いろんなことが許せないこと」ではなくて、「いろんなことを許せないと感じること」だとする。だから、その反対は「いろんなことを許せないと感じないこと」にする。
そうすると、潔癖さの反対は鈍感さ⁈最後の感じないに引っ張られてる気もするけど、許せないと感じないのは、確かにsensitivityの問題のような気がする。
そうなると、潔癖さの方はある種ギフトともいえる。。。
ただし、かく言うわたしも、ある面では、とても潔癖になったかと思うと、他では全然、、と言うように潔癖さが発揮される場所は、個々人で一貫してるものの局所的。しかも、その程度も、ひとそれぞれ。。。
ほんと感覚って多岐にわたってる。
個人的には、他人の潔癖さに触れることが嫌いじゃない。そのひとの感性のアンテナが垣間見えるからかな。。。同類で嬉しくなるときもあるし、へーそうなんですかと見方が変わるときもある。
自分と全く異なる潔癖さの持ち主のことは好きにはなれないけど、時間が経つにつれ、認めることはできると思う。
でも、鈍いのはだめよ。。どこにもアンテナ立ってなかったら、何を大事にしてけばいいかも分かんなくなっちゃうもん。。。
まぁ、すべてにおいて潔癖なところがない人なんて、いまは見えてないだけで、いないんだろうけどね…。
全部に番号がふられてる…。