理解について。

自分の感じてる感覚をそのまま他の人に渡すことができるといいなあ、、、そのまま受け取れるといいなあ、、、と思う。表現の中心は言葉になると思うけど、言葉を介在させることには限界がある。。言葉じゃ足りないので、身振り手振り、果ては踊り出す…⁈

嬉しさはどれだけのもの?悲しみはどれほど深いの?綺麗な景色を見たときの感覚はどんな感じ?今まで食べたことないぐらいおいしい思いはどんなもの?臍を噛むほどの悔しさは?
結局、自分のしか味わうことはできない。。あとは想像するだけ。。。
 
『ある経験をしたときの「感じ」が、その経験のクオリアだ。つまり、赤い色のクオリアは、夕焼け空、中国の国旗、動脈を流れる血液、ルビーの指輪ホメロスの詩に出てくるワイン色の海、これらに共通するあの赤い感じのことだ。これらすべての主観的経験の共通点は、「赤の赤らしさ」である。クオリアは感覚そのものであり、ある一瞬の意識経験は、さまざまなクオリアによって構成されている』クリストフ・コッホ著「意識をめぐる冒険」
 
感覚は、あくまでも主観的なもの。。。しかも、同じ赤色を見ても、そのときの自分によっては、全然違って見えることだってある。。絶対的なものが存在せず、測りようもない。。。
一方で、どれだけ共有できていないのか、という点については結構敏感だったりする(それも正確には分からないということになってしまうけれど…)。あー、まったく伝わってない、、、あ〜話を合わせてくれてるけど、本当のところは違いそう、、、とかいう違う方は分かったりする。。。(←これも主観的なクオリアだけど…)
だから、共感に対して憧れ、共感から癒されるのは、これが滅多にないことだからなのかな。。。本当の意味で、他の人と同じ感覚を味わうことは無理だと思うし、しかも確認のしようがないのだけれど、、、実は一致してる、なんてことがあるのかもしれない。。。何かを共感できて、その共感できているという状態が分かったとしたら、とてもよいなぁ。。。
 
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