理解するって

言い合って、言い合って、言い合ったはてに、万策尽きて、もはや歩み寄りの余地、「合意」の余地はないとあきらめきったそのときから、「分かりあう」ということがはじまる

鷲田清一さんの本に出てきた。

分からないと、あー理解できないなあ、と済ましてしまうことも多い。。相手には相手の理屈があるし、自分には自分の理屈がある、曲げられないんだったら仕方がない。相手を曲げてまで、自分を曲げてまで、理解したいとも、できるとも思わない。。。
でも、これなんとなく分かる気もする。特に近しいひとの場合、そんな状況になることがある。。到底最初は、まったく相手の言ってることがわけがわからないと思っていたのに、いつの間にか、わたしの頭では分からないけれど、分かりました、、、てな状況になることがある。
ただし、そこに至るまでには、ニラレバでも食べて相当スタミナ漬けて、朝まで生テレビなみ(←古い⁈)に持論を展開した末に至る境地。。。そして、疲れ果て、如何に分からないかが分かる…。
ひとを理解するっていうのは、いやはや労力のかかることで、、、そのひとにはそのひとの自分とは異なる考えがあるってことを理解するのに随分とかかる。。
なかなかいちいちそんなに真剣にすべてのことに立ち向かうわけにはいかないけれど、たまにはそういう感じを味わうことも必要なんだろうと思う。。分からないって片付ける方がどれだけ簡単かしれないけれど、なんか分かったわ〜って言えたら、随分と違うところに行ける気がする。。。

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