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ごろごろしてたら、こんな記事に出くわした。。iPhoneのプライバシー保護の話し。

病気の息子を失ったひとがiPhoneのロック解除を求めてる。
「息子の最後の2ヶ月の写真、言葉が詰まってるのに、アイフォーンによって人質状態にされている。」「アップルのプライバシー保護の考えに大筋で賛成するが、私のような事例に例外的解決をどうか提供してほしい」
と嘆願してるらしい。。。

これはもろプライバシー問題なのでは。。どうやら一連の話しもご存知の上で、このような嘆願をされているみたい。犯罪解決のためにもそんなことしないのに、こんな個人的な理由認められるわけがない。
朝からびっくりした…。

息子さんは13歳だったとか、非常にお気の毒だとは思う。。そして、きっとそんな気持ちになるのかもしれない…。
でも、iPhoneが解除され、その中身が出てくることを望んでるのは誰なのか、、、この場合少なくとも息子じゃないよね。。。
もういないし…。
そして、もし息子も望んでるとしたら、いる間に写真や言葉を既に共有してるか、いなくなった後に共有できるようにしてるよね。
でも、実際、iPhoneにはパスワードが付されてる。しかも、解けないパスワード。。。
このことで、息子は線を引いている。

2個の分岐点で情報共有への気持ちに階層を設けることができる。。
まずはパスワードの有無。
さあ、どうぞ。包み隠さず、情報はフリーですよ、という分岐点。
いやいや、全部見せるわけにはいかない。やはり秘密もあるもんね、とパスワード有りに進む。
で次の問題は、どんなパスワードにするか。
ここも選択による分岐点になり得る。解けるパスか解けないパスか…。
自分のまわりの自分を知っている(あるいは知ってほしい)相手には簡単に解けるパスワードを設定することだってできる。そうするのか、しないのか。プライバシーの観点から、そんな選択をして現状に至る。
そして、このケース。iPhoneにはパスワードがかけられていて、しかも解けない。。。
既に結論は故人が決めているのでは…。
こっちにはこないでね。僕の世界は僕のもの…。

どこで線を引くかは本人の選択による。
自分と他人の間の線引きによって情報量は決まってくる。
自分の故人との思い出は、既に、自分の中にあるピースのみで構成される。それでよいではないか。
だって、線引きの向こうのピースは、もともと故人のものか、あるいはそこにアクセスできる誰かのものなのだもん。
自分のピースを大切に。

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