letitbeで。

期待はどの程度が丁度いいんだろう。。。
期待はやる気のスパイスにもなるけど、重荷にもなり得る。
多分、諸刃の剣というやつだ。。
よ〜し、頑張るぞー、から、何にもしたくない…まで、大きく振れさせる可能性がある。。ときに自分を追い込んで病気になってしまうことすらある。。
怖い…。
期待を媒介とした人間関係はしんどい。
(他者との関係だけでなく、自分自身との関係も含む。)
こうあって欲しい、こうあるべき、というのがある方が確かに動きやすい。。目的を達成する可能性も高い。。達成感もある。。
ただ、、、いつも期待からずれずにいるのは至難の技だ。型を作った方がメリットは大きいかもしれない…。でも、ぴったりの型を設定するなんてこと、所詮無理なのではないかなあ。
だから、簡単に型からはみ出したり、型に対して、分量が足りなかったり、、、期待の型からずれる、という事態が生じる。
期待を裏切られた、、、なんて表現があるけど、これなんて随分と勝手な言い草だ。。何もない空間に、型を作ってみて、型に合ってない、、、なんて…。
この型通りであれば受け入れるし、そうでないならとても受け入れることはできない、という条件付きの受容は、型から外れた分が重荷になってしまう。その重荷を引き受けるのは、期待された人物だ。
重たい…。
期待されるほどのことをしようとしてるのに、さらに重荷まで背負うとは。
何もないところに型を作ったからこそ出来上がった外れた分、本来、これは引き受けなければいけない重荷なんだろうか…。
型から外れれば外れるほど、身を軽くして頑張りたいところ、逆にそれ故に重たくなった重荷を背負うことになる。。。
期待として大きい型を作れば作るほど、重荷を引き受けたり、引き受けさせたりしてしまう危険が増す。。。
重荷を下ろしていいんじゃないかなあ…。
条件はいらないのじゃないかなあ…。
みんな自分で自分のことをやって。
できればやりたいことをやって。
そのままでいいんじゃないかなあ…。
そこに居るだけでいいんじゃないかなあ…。

 

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