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昨夜のゆく年くる年は、奈良の唐招提寺でスタート。唐からいらした鑑真さんが建立したお寺だ。確か、随分、苦労して日本に来られたはず。読みやすそうだなあと、先日購入してまだ見ていなかった文庫本の「日本の古寺を知る辞典」を見てみた。

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その当時、仏教の正式な僧となるためには、厳格な規程に基づいて戒律を授かる必要があったが、日本ではシステムが整っておらず、それを担うことができる人材もいなかった。そのことは、日本の文化レベルが低いとされる要因となっており、また、唐などで僧として認められないという状況を作りだしていた。

そこで、日本側は鑑真の弟子の派遣を依頼。しかし、弟子の中には、誰も応じるものがいなかったことから、鑑真自らが渡航することを決めた。決意をしたはよいが、日本への渡航は非常に困難を極め、5回の失敗の末、ようやく鑑真は日本入りを果たす。この際の苦労によって、鑑真失明したと伝えられている。

天平勝宝六年(754年)、平城京に入った鑑真は、授戒を行う施設(戒律を授ける施設)を東大寺に建設し、聖武太上天皇をはじめ440余りの出家者に戒律を授けたとされる。鑑真は688年生まれのため、この授戒のためのシステムを整えた時点で、既に66才になっていたはずである。
唐招提寺は、その後大僧都となった鑑真がその職を辞した天平宝字三年(759年)に建立を始めた寺院であるが、唐招提寺の寺観が整ったのは、鑑真が75才で亡くなり、何十年も経った後のこととなる。

ひとにはそれぞれゆくべきところ、するべきことが決められているのかな?鑑真さんは、相当大変な思いをされたと思うけれど、しかも随分お年を召されてから、、、それは多分鑑真さんしかできないことだったんだろうなあ。

ぐだぐだのお正月を過ごしながら、鑑真さんはそれで幸せだったのかな。。。なんて考えてる。。。