蜜の味⁈

ひとの不幸は蜜の味って言うじゃないですか。。。実際、そういうシチュエーションで、脳のどの部位が活動するか、MRIで記録をとったという研究の話が、本を読んでたら、出てきた。一般向けに、面白そうな話をまとめた本。

池谷裕二という脳研究者、以前も感じたけれど、このひとの本をパラパラと読む限り、あまり好きな思考パターン、感覚の方ではない。。けれど、たまにはそういうのも必要だよね…。

まず、ひとの羨ましい話を聞くと、「前帯状皮質」といったところなどの脳部位が強く活動するらしいのだけれど、ここは不安情動や苦痛に関与するところなんだってさ。。

そして、一方、羨ましいと感じたそのひとが、その後、不幸に陥ったという話を聞いた場合の反応についても調べてて、この場合は、「側坐核」という部位の活動が見られたんだって。
そして、この部位は、いわゆる報酬系の快感を生み出す脳部位なんだそうな。。
しかも、先の羨ましい話への反応の強かった人ほど、側坐核の活動が強かったんだって。。

で、他人の不幸は蜜の味だと。。。

でも、わたしはこの話を聞いて、みんな不安なんだなぁ、って思った。

自分の満足度の基準は、常に相対的なもので、ひとの状況如何で自分の満足度が上がったり、下がったりしてしまう。。。羨ましい話を聞けば、自分の満足度が下がって、不安や苦痛を感じ、逆の話を聞くと、自分の満足度が上がると、、、
でも、報酬系の解釈として、蜜の味って、そんな感じじゃないんじゃないかな〜って思う。脳研究者の方がまとめてるのになんだけどさ〜。。

不安や苦痛から解放されて、安心するから報酬系が活動するんじゃないのかなって思うんだよね。。。快感じゃなくてさ〜。蜜の味っていうとほくそ笑んでる感じを受けるけど、、根底には、結局、相対的にしか満足度を測れないっていう、依るべきところのない不安心理みたいなもんがあるんじゃないのかな。。。

両方の話に強く反応してしまうひとっていうのは、自分は何も変わらないのに、それだけ基準が大きく動くひとなんでしょ。感応度が大きいと不安定化しちゃうよね。。。

ひとはひと、自分は自分って、割り切れるっていうのが、いちばん良いんだけどね。。でも、そう考えると、小さい頃から定番の「よそのお家ではそうでも、家は違うの、、よそはよそ、うちはうち!」という、親たちの苦し紛れの言い訳も、人生訓ぐらいになるのかもしれない。。。

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葉っぱ随分なくなっちゃったね。。