選択の余地

自分の意思決定を考えてみるに、事に当たっての選択肢の幅は非常に限られている。。
方法論としては、A案、B案、C案…という幾つかの選択肢の中から、其々の案のよい点、悪い点なんかを比較考慮して、熟考の末選ぶ、、、。机上では理解できる…。
でも実際自分がやってることを考えると、意思決定において、唯一選択できる選択肢はやらないという選択肢しかないのではと思う。。。
やる場合は、なにもやることを選択しているわけではない…。そこに選択の余地はない。突き動かされてやることになる。
これは自分がすべき論で生きてないからなのかもしれない。。どうすべきかでは動けない。どうしたいかをいつも考える。
どうすべきかで行動した場合、必ずしも気持ちと言動は一致しない。わたしにそんな高度な技は使えない。。。
すべき論で行動すれば、気持ちと言動にギャップはあるけれど、気持ちは守られる。気持ちは、すべきに道を譲り、一歩下がる。譲る方は守られると相場が決まっている。。ギャップはたまに苦しくなるだろうけれど、大抵はすべきがことを収めてくれる。
…と思う(そんな簡単じゃないかもしれないけど…)。
わたしには初めから、すべきがいない。気持ちと言動にギャップはないけど、手綱は気持ちが握っている。
ただしわたしの気持ちはほとんどの場合、唯一選ぶことのできる、やらないという選択肢をずっと選んできた。。
まあ、そのおかげ⁈で、こういう頭の構造でも自由奔放に生きることはなかったけど…。
果てさて、それでよかったんだっけ…⁈
わたしにも気持ちより強いすべきがいたらなあ。。。人生は違ってたんだろうなあ。でも、もう戻りたくないし、これでいいや。そこはすべきなしで満足。
でも、残されたあと数十年の残りの人生。。。死ぬときはやはりあ〜いい人生だった、と死んでいきたい。そのためにも、選択の余地なく飛び込める状況がたくさん降臨しますよ〜に。

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