感想を少し。

映画を見た。。まだ、自分の感じた感覚の処理ができていない部分もあるけれど、、、そこに関しては、あ〜こういうことだったのか、、、と思い至るまでに多分もう少し時間がかかる。
なので、まず第1波でやって来た印象深いとこを切り取っておく。。。第2波、第3波があれば、またいずれ…。

劇中終盤、嵐の中、別れた奥さんと極たまにしか会えない子供と3人、夜中の公園のシーン。
主人公が、どうしてこんなことになっちゃったんだろうなあ、、、とつぶやく…。
別れた奥さんは、嵐の中、こんなとこでこんなことをしている「今」について言っているのだと思う。。。
言い直す主人公…。

このシーン、わたしにはいきなり思考のスイッチが押され、フィルムの残りを見ながら、頭の中はぐるぐると。。。
わたしとしては、まだまだ混乱の最中に、エンディングのタイトルバックが始まり、テーマ曲が流れた。
いきなり胸が締め付けられるこの感じ…涙がぽろぽろ出てきてしまった。

ドウシテコンナコトニナッチャッタンダロウナア…。
と、主人公はそう思ってるんだ。。。
どうしてこんなことになってしまったのか、、、そんなこと分かんない。
主人公に分かんないんだったら、誰にも分かんないよ。
でも、主人公はどこかの時点からずっとそう思ってる…。そして思いはずっとそこにある。

主人公が過去から将来に向かって線を引いた、その線上の「今」と実際の「今」のギャップ…。
本人にとって、そのギャップが大きいほど、止まる思いは重い。。
置かれてる環境、状況は変化しても、思いには止まる自由がある。周りが変わって、気持ち(思い)も直ぐに追いつく場合、気持ち(思い)の方が先走る場合、それから気持ち(思い)が残る場合。
一致するとは限らない。。。
気持ちの環境への順応力は、人間の個体差も大きいかもしれない。。
別れた奥さんの頭にあるのは、過去からの線上にある「今」ではなく、きっと実際の「今」だ。だから主人公の発言に反応したのもいまの話だったんだろう。。奥さんの方にもはや思いのギャップは感じられない。いまは、既に新しい線を引こうとしている。
一般的には、ギャップがあれば修正し、新しく線を引いていくことがよいとされるのかもしれない。。。
でも、奥さんを含めた他のひとたちも、あんまり幸せそうに見えなかった。。詰まるところ、何が最大の目的、目指すところなんだろう…。
本人に、一般論は当てはまらない。
正解がないんだとすれば、自分にとっての正解を作るしかない。。
諦める、、、新しい線を引くには一見有効そうなこの行為。。。でも、このやり方では、少しずつ思いを置き去りにしていく感じがする。。主体は理性じゃなく、思いじゃないとなんともなんないじゃないのかな。。。

思いは思いの気が済むまでいたい場所に居させないと…。相当頑固で、でも、とても主体的なんだ。自分の気が済んで、納得すれば、きっと新しい思いに融合してくんだ。。

 

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