思い出話をひとつ

姉が就職して直ぐのゴールデンウイークに、母、姉、わたしの3人はペットショップに出向いた。姉が、お給料も出るし、犬が飼いたいと突然言い出したのがきっかけ。。。
ペットショップに行くと、きゃんきゃんとそれは元気なマルチーズの女の子と、ぬぼっとした感じの落ち着いたマルチーズの男の子がいた。
わたしは自分がお金を出すわけでもないのに、このマルチーズの男の子が俄然気に入ってしまった。。。
姉は、そんなに好みはうるさくなく、直感的な母も、この男の子には嫌な感じを受けなかったようで、めでたく、こちらの男の子をもらって来ることになった。
名前に関しては、わたしはその当時、フランスに被れていたので、フランス風の名前がいいと言ったけれど、姉がそれは譲れないということで、マーティーという名前になった。
もう、マーティーという名前はすっかり家のわんこの名前となったため、何処からこの名前が来たんだっけ、、、と思い出さないと忘れているけれど、その当時に流行っていたバックトゥザフューチャーのマイケルJフォックス演じる主人公の名前からとったんだった。
姉は、小さな頃から、近所の捨て犬や捨て猫を拾って来ては、元の場所に返して来なさいっ!と怒られ、なくなくミルクを飲ませて、元の場所に戻すということを繰り返していたけれど、やっと念願叶って、犬と一緒に暮らすことができるようになった。
暮らすことができるようにはなったけど、結局、面倒をみることになったのは、母を中心とした、サブのわたしで、結果、マーティーはすっかりお母さんっ子になってしまった。
結婚後、姉は、また犬を飼うことになったけれど、それを見てわかったことは、姉は面倒を見ないのではなく、同じ家で育ったにもかかわらず、動物に対するスタンスの違いで、それ故に、面倒の見方が異なるってことだった。
マーティーがすっかり母やわたしに懐いてしまい、寂しい思いをしたのかもしれない。。。
母の場合は、姉とわたしを育てるのと同じようにマーティーを育てていたため、小さい頃のわたしのように、母がいないと自家中毒を起こすぐらい依存体質になってしまった。。。
節度ある⁈対応と溺愛という対応、どちらがいいんだろう。。。マーティーはどっちがよかった?
マーティーは、朝晩の散歩は欠かさず、散歩のコースも自分でその日行くと決めたコースがあるらしく、母が出かけて、二人で散歩に出た夕方は、駅からの通り道にある公園に立ち寄る。
そこで、二人でベンチに座り、風に吹かれる。お母さん、早く帰ってくればいいのにね、マーティー。七つの子が流れる夕方の公園は、ちょっと寂しいけれど、マーティーの気持ちが伝わることがとてもうれしかった。。。どんな感情でも理解できるって幸せな感じなんだ、、、逆に、マーティーはわたしの気持ちをとてもよく察してくれていたって思ってるけれど、、、理解してもらえるって幸せな感じなんだ、、、って、お恥ずかしながら、マーティーと暮らすことで、初めて知ることになった。。。
同じように溺愛されたはずだけど、姉とわれわれでは、また、違う。。。ウェットさの含有量が同程度じゃないと感応しないかも…。

いつかまた犬と暮らす勇気が出るといいな。

でも、そしたらすこぶるドライな犬だったりして、、、
でも、まぁ、その頃には、そういうのを楽しめる余裕もできてるかもね。。。

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