イザナキとイザナミと。

昨日病院に持参したのは、「眠れないほど面白い『古事記』」由良弥生著という古事記をおもしろおかしく書いた大様文庫の本。その最初の数ページにイザナキとイザナミの話が出てる。
イザナキという男神イザナミという女神により、本州をはじめとした島々や大地を守る八百万の神々が生み出された(国生みと神生みというらしい)。イザナミはたくさんのものを生み出したが、ヒノカグツチノ神という火の神を生んだときに大火傷をしてしまい、そのときの傷が元で黄泉の国へ旅立ってしまう。イザナキは、妻の死を受け止めきれず、日増しに妻を愛おしむ気持ちが重くなり、ついには黄泉の国へ妻を迎えに行くことにした。
あれっ?こんな話、他にもなかったっけ⁈あっ、そーだギリシャ神話のオルフェウスの話だ。。。あっちは確か最愛の奥さんが毒蛇を踏んじゃって亡くなってしまって、やはり愛しい妻を黄泉の国へまで迎えに行く話だった。
家でネットで見ると、やはりこの類似性に言及しているページがいくつかある。ひょっとすると、こういうの研究している人もいるのかな?知識不足ですみません。。。
古事記の方はこの後、黄泉の国で石の扉越しに妻と再会して、帰って来てくれるよう説得する。妻は既に、こちらの食べ物をここにいる神々とともに食べてしまったから帰れないと言う。
「食」って大事なのね。まあ、食べると言うことは、自分の体内に入れて、自分の一部になるわけだからそうだよね。そして、同じものを食べると言うことも、食べたもので形成された一部を共有すると言うことなのか、同類、仲間ってことになっちゃうのかもね。気が合わない人とは食べたくないし、気が合う人と一緒に食べるのは幸せを感じるもんね。誰と食べるかってのは重要だよね。。。
話が逸れたけど、それでもイザナキは諦めきれず、結局、イザナミは黄泉の国の神々に相談することになる。ただし、その間、絶対にわたしの姿を見ないでくださいという条件付きで。
ギリシャ神話の方も同じだよね。やはり妻を黄泉の国まで迎えに行って、交渉して、こちらはこの世に戻るまで後ろをついてくる妻を振り返って見てはいけないという条件。
見たいけど、決して見ちゃいけない。両方とも、結局見てしまって、だめになっちゃう。
よく似てる。。。古事記の方は、712年に完成したらしいけど、ギリシャから長い年月をかけて、伝承等により伝えられたと考えるのはかなり無理があるよね、、、。この辺の類似性が何処から出てきたのかは専門家にお任せするべきと思いますけど、想像するに、時代や国、文化が違っても、同じように考えるもんなんじゃないかなと思う。
それにしても、イザナキは話がちゃんと進んでいるか、心配な自分の気持ちに負けて、イザナミの姿を見てしまう。オルフェウスは、エウリュデケがちゃんと後ろをついてきているか、不安な自分の気持ちに負けて後ろを振り返ってしまう。。。
このネガティブな感情、もともとは自分の身を守るために、行き過ぎをセーブするために、脳内に組み込まれている感情なんだろうと思うけど、期待が大きければ大きいほど、比例して、あるいはそれ以上に大きくなってしまう。
でも、そもそも相手がいないと生きていけないぐらい悲しんで、黄泉の国まで迎えに行った時点で、結果は出てるのかも。。。依存体質のわたしは笑えないけど、自分のコントロールって、ほんと難しい。。。自重してるつもりだけど、失敗しちゃう。今なお、学習中。
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