約束だけど、自由。

録画していたビデオ、桜の時期の上野公園を取材した番組(ドキュメント72時間)を見た。その中で、毎年、4日と日を決めて、何の連絡もとらず、集まっているというグループがいた。毎年、繰り返されているのだろう。明示的な約束もなく、確認を取るわけでもないけど、その日にそこで会うことが決まっている。なんかとてもいいなあと思った。

年末になるとよくドラマの題材に取り上げられる赤穂浪士。あれも一旦は、離散した浅野家に仕えた武士たちが、主人の仇討ちの決行日まで、昔を忘れたかのように振る舞いながら、決行日に参集して、目的を果たすというお話。彼らにとっての「ハレ」の日である仇討ちの日を胸に刻みながら、日常である「ケ」の日々を淡々とこなす。

映画では、「めぐり逢い」めぐり逢い - Wikipediaというのがある。この映画、ケイリー・グラントとデボラ・カーの作品(1957年)とそれにインスパイアされたトム・ハンクスメグ・ライアンの作品「めぐり逢えたら」めぐり逢えたら - Wikipediaというのがあると思っていたけれど、wikiによれば、もっとあるらしい。。。もともとは「邂逅」という1939年のアメリカ映画で、1957年のものはリメイクらしい。その後、再度、ウォーレン・ベイティアネット・ベニング主演で、リメイクされたらしい。長きにわたって、アピールするテーマなのね。これも、エンパイア・ステート・ビルディングで再会する約束の日を決めるというもの。わたしの見たことのある1957年の「めぐり逢い」と「めぐり逢えたら」は、どちらもとてもすてきなお話し。

これらのエピソードになぜ心惹かれるのか考えてみた。少なくとも自己分析の結果では、行くか、行かないかという選択肢が全く本人の意思に委ねられている点(真ん中の赤穂浪士の例は、そこまでの自由は必ずしもないかもしれないけれど、新しい生活を始めた以上、そちらを選ぶこともできると思われるので、仲間に入れても良いのでは、、、と思う。)と誰にも邪魔されず、自分と向き合って考える時間が与えられた結果の選択である点かな。各人の「本人の自由の尊重」と「納得した選択」。その結果、一緒に集まることができれば、なんて幸せなことなんだろうね。自己欺瞞や自己満足からは程遠く、みんなが正直に満足してる。

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